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高畑裕太が犯罪にまで至ったのは親である高畑淳子の責任である

子供は親ならば皆可愛いと思いますが、しかし時折子供への愛情を間違った方法で与え続けると、親の期待とは裏腹に子の人生が”破滅”することがあります。もちろん、これは一概には言えないことですが、世の中の犯罪、不幸、悲しみの根源は99%が家庭にあります。

単純に家庭の形ではなく、近年母子家庭が増えていますが、母子家庭でも立派に育つ子供がたくさんいます。やはり子供への愛情の注ぎ方がすべてを決まります。高畑淳子さんの場合は40歳前後の高畑裕太さんの出産ですから、一層可愛くて仕方がないでしょう。高畑裕太さんが自分の衝動を抑えられないほど高畑淳子さんも息子さんへの愛情をコントロールできない状態と見受けます。

芸能界で一躍売りっ子になった高畑裕太ですが、その背後に全力でバックアップしている高畑敦子さんがいったからの成功です。本人の努力もあるはあるだろうが、テレビでひっぱりだこの理由はあの「純粋」な性格であって、「面白そうだ」と起用されているだけの話です。二世タレントの中でもここまで親が一緒に共演してくれたりする親は珍しい。

いとも簡単に売れた本人は苦労をしていないものだから、ありがたみを感じず天狗になり、今の居場所が当たり前と感じてしまい「間違え」を犯してしまいます。子育ては難しい、個人的の話ですが、自分の親への理解は年を重ねることにどんどん深まります。

高畑敦子さんのあの記者会見がすべてを物語っています

高畑裕太の逮捕を受け、高畑敦子さんが記者会見を開きました。会見そのものは素晴らしいものです、さすが一流の女優だと感心するほどです。しかし、あの記者会見は一歩退いて考えてみると謝罪は謝罪でも息子への愛の方が遥かに勝っています。感動すら覚える子への愛が許してあげようかと一瞬思うほどでした。

高畑敦子さんは「私はどんなことがあってもお母さんだからね」と高畑裕太に言っています。本人もそれは「言ってはいけないこと」と前置きに言いましたが、しかし「言ってはいけないこと」は言ってはいけないんです。まるで被害者か被災者のような扱いで、それで本人の罪悪意識は薄まるではありませんか!これまでもこれからもそうやって接していくことに違いないと思ってしまいます。

それがゆえに刑事事件までを起こしたことになったのではありませんか。噂ですが、以前にも似たような犯行を犯した経歴があり、その度にお母さんが出てきて揉み消していたという。噂だとしてもあの記者会見で容易に想像できてしまいます。

できるのなら揉み消すのはいいが、本人に何かしら罰を与えないとどんどんエスカレートしていきます。もし今回が強姦致傷ではなく強姦だけだったら、また高畑敦子さんが示談で片づけてしまいます。そういう意味では今回の事件はいずれ起きることだったと考えます。むしろ殺人ではなかったことが不幸中の幸いではないでしょうか。

こうして親が全部責任をもって解決できるのは限界があります。もし高畑敦子さんが殺人でも対応できるのなら別になんの問題もありませんが、しかしそんな人は日本に10人もいないでしょう。そこまでできない親であるのならきちんと教育をしておくべきです。

高畑敦子という母親が素晴らしい人間です、素晴らしすぎた影に、息子の「不安要素」が収拾つかないほどにまで膨張し破裂しました。

息子の人生より、自分の感情を優先した

さて「親の愛は自分のためだ」と思う時があります。可愛いと思うのは人間の感情ですから抑えられないでしょう。例えがちょっと違うかもしれないがペッとに可愛い衣装を着せたりお世話をしたりするのは結局自分が癒されるからです。ゴキブリを可愛がらないのは自分の癒されないからです。

親も一緒で、子供のことを思うなら厳しい一面も見せないといけません。記者会見で高畑淳子さんが「彼の甘さ」と犯行に至った理由を説明したが実は高畑淳子さんが甘いのです。

今回が特にそうですが、こういう母の愛を批判しにくいのが現実です。これがまた厄介です。

親は成人した子供の犯罪をどこまで責任負うべきか?

以前みのもんたさんの息子さんが犯罪を犯したときも議論されていました。親は成人した子供の犯罪をどこまで責任負うべきか?みのもんたの朝ズバ降板は息子の犯罪だけではなく、以前からセクハラなどの不祥事が続いたのもあってのことです。自己責任だ。

この問題に関しては人それぞれで法律でも規定がないので、なんとも言えませんが、日本では「子供の犯罪は親にも責任がある」が主流です。実をいうとどっちでもいいんです。個人より社会の問題で、風習があると言ったらもう逃げられません。

農耕民族の国では子は親が責任を持つことがほとんどです。成人すると何があっても親とは関係ない社会の場合は子供が強く育つ、それだけははっきり言えます。