最初は遊び半分でしたので、登頂するつもりもなく、適当に登ってダメだったらまた適当に降りるつもりでした。しかし、登山というのは一度登り出すと止まりません。タイトルの通り、これが初めての富士登山でした。山頂まで登って降りてくるのに約6時間半くらいかかりました。
その日は友達と7人で行きました、正確には僕と3組のカップルです。もっといえば、運転手の僕と3組のカップルです。僕しか免許を持っていませんでしたから。
朝6時集合のはずが8時になっても揃わない、1組が防寒の服を電車に置き忘れ近くのドン・キホーテに買いに行ったとか、1組が朝ごはんを食べに行ったとか、そんなんこんなんで8時半にようやく出発です。
本来ならカーナビで直接五合目まで行けますが、それも知らずに樹海に迷い込んでしまって、鹿に遭遇しましたよ。まあ、ちょっとラッキーな気分でした。間近で野性の鹿を見たのは初めてでしたから。カーナビがあるのに、道を聞きまくりました。
五合目に近づくに連れ、渋滞がどんどん酷くなりました。やっと空いた道端の駐車スペースに駐車して、そこからバスに乗り換えて、富士山五合目の大型観光施設「五合園レストハウス」に辿り着きました。この時はもうすでに午後の2時半でした。
みんなでそばを食べて、登山グッズやお土産などを見物したりしているうちに午前3時を回りました。「ここでようやく出発か」と思ったら、カップルたちが写真をとり始めました。「限界」に達した僕は一人で先を急ぎました。
山頂まで登るつもりはなかったので、杖も登山シューズも酸素ボンベも非常用ライトも持っていませんでした。しかしなぜか傘を持っていました、これが結構笑われました。
その日は霧もあったし湿度も高かったため空気がおいしく、運動にはちょうどいいと思いました。登山道はほとんどの平地から始まりだんだん険しくなるという感じです。不思議なのは馬に乗っている人がいました、馬車もありました。
道が分かるわけでもなく、案内してくれる人もいませんでしたので、とりあえず他の登山者に付いていくことにしました。道幅が少しずつ狭くなっていきました、トンネルもありました。
僕の登山魂に火をつけたのは、すっと追い抜かされた別の登山客でした。「こいつに絶対負けない!」と競争心を燃やしました。そこからどんどん他の登山客を追い越していきました。「なんでそんなに急いで登る必要があるの」と野次を飛ばされました。
いつの間にか団体の登山客が現れました。どうも富士登山には吉田ルート、須走ルート、御殿場ルート、富士宮ルートがあり、僕が使ったのは吉田ルートでした。さらに、吉田ルートに二つの出発点があり、これら団体の登山客は違う出発点からか、僕より早く出発していた人たちだと思います。
この時の道は「急な坂」っていう感じでした。土砂崩れ防止?に塀が作られていました。その塀に沿って道が砂利のようなもので舗装され、「Z」の形で上に続きました。
僕以外はほとんど団体の方たちだと思います。ガイドみたいな方もいました。ここまではずっと人を追い越してきたのでやや疲れが溜まってきて足も痛くなってきましたが、当初の「適当に登ってダメだったらまた適当に降りる」はとっくに忘れ、目の前の人を越すしか頭にありませんでした。
次第に「道」と言える道がなくなりました。さらにどんどん急になり、岩がメインになってきました。道端に鉄のチェンで作った一本に手すりがありましたが、それを使う人がいなくほとんど道路標識のような扱いでした。
今何合目なのかも分からず、ひらすら登っていました。そもそも「合目」ていう数え方も知らなかったです。あと、登山客の中には外国人がたくさんいることに気づきました。意外と外国人の方が多いのかもしれません。日本人の場合は「いつでも登れる」が「いつまでも登らない」になってしまうのでしょうか。
今度は山小屋のような休憩所が見えてきました。隣にトイレもあった、よく見たらコインが必要だった、なるほど富士山のトイレは有料なんですね。小さな売店もあったが、商品が少なく非常に高かったです。500mlの水一本が400円とかです。
小屋の中はほとんどが畳で細長い食卓もありました。そこで団体の登山客たちがカレーを食べていました。小屋の前は登山道の一部でベンチのような長い椅子が設置されていました。そこで偶然知っている人がいました、おそらく団体に参加してきていたと思います。しかし、声をかけなかった、ナンパしていましたから。
こういう小屋はいくつもあった、みんな作りがバラバラでトイレのあるとことないとこ、小さい小屋ともっと小さい小屋などなどです。しかし僕には何の関係もない、だれかと一緒ならちょっとは休憩するかもしれないが、一人ではそんな気になりませんでした。その時期はまたたばこを吸っていたが、一本しか残っていなかったため、頂上で吸おうと思っていました。
もっと上にのぼると小屋は見当たらなくなりました。そういえば傘を持っていましたね、ここまでくると手を使って這くように登らないといけないので、傘がとても邪魔になります。ですので、大きな岩の裏に隠して、戻りに拾えばいいと思いました。
登山は人生に似てるといいます、まあ似ている部分もあるでしょう。しかし、登山には明確なゴールがあり、諦めずに登っていれば必ず頂上に辿り着きますが、人生の場合はどこに向かっているがは分かりません。
岩道がなくなり、砂の道がだいぶ続いた頃、もうすっかり人が居なくなりました。人を追い越すことでここまで登れたので、人がいなくなるとやる気もなくなりました。
そんな時に自称78歳のおじさんに遭遇しました。山頂まであとどれくらいかと尋ねたら、「そこだよ」と指をさした先にすぐ先に山頂があるとのことです。しかし、油断してはいけない、「すぐそこだけど、1時間以上掛かるよ」となぜか自慢げに言われました。一瞬ですが諦めようかなと思いました。
景色の話しましょう。最初は森があり河口湖があり薄い雲があり、結構良かったですが、ある程度のぼると雲の一色です。基本この二パターンだけでした。
「頂上に近づくほど困難が増してくる」は言えてます。あと100メートル当たりのところからだと思います、道が石で舗装されていますが「こりゃ90度あるんじゃないの」ってくらい急なんです。
ここは一気に登りました。足がずっと痛かったですが、登っているうちに痛みに順応しました。そしてついに登頂です。頂上の証しみたいな柱があって、神社みたいなものがあって、いろいろあって、郵便局があって、気象庁?があって、穴があってです。
「頂上ではみんなが大好きだ」これは本当なんです。不思議ですが多分同じ経験して同じ達成感を味わっているからだと思います。
どうしても言っておきたいのは、「あの大きな穴」の深さと迫力は写真では絶対に伝わらない、写真で見るよりずっと深く迫力がありました。
電話が掛かってきました、電波が届いていることにビックリです。一緒に来ている友達からでした、みんなはとっくに諦めて、すでに五合目に戻っているとのことでした。これは何かなんでも今日中に戻らないといけないことを意味します。なぜなら車の運転は僕しかできない、しかも次の日みんなそれぞれに予定があります。
とっておいた一本のたばこを吸って下山することにしました。しかし、たばこに火を付けようとするがライターがつかない、酸素が薄かったからです。諦めかけにようやく火が付いた、その一本が人生で一番うまかったです!
吉田ルートは「のぼり」と「くだり」は別々の道があります。しかし、そんなことは知る由も無く、「のぼり道」で降りてしまいました。
頂上で気持ちがハイになっていたので、降りるときは登ってくる人に「すぐそこですよ」と声をかけていました。
最初は結構喜んでくれましたが、だんだん睨んでくる人が出てきました。理由はこうです、最初の人たちは頂上が見えて、気持ちがハイです。その時に声を掛けたら喜んでくれます。睨んでくる人は頂上からまたまた距離があって、気持ちがローです。そんな時に声をかけられたらただうっとうしいなだけだと思います。
知らずうちに暗くなってきました。しかも急に暗くなった気がします。おそらく、頂上は標高が高いので、太陽に照らされる時間が長く、地上はすでに暗くなっていても、山頂はまた明るいです。下る途中で「暗い」と「明るい」の境界線を通過すると急に暗くなるのだと思います。
月がない日は月光もない、非常用ライトもなかった、「一寸先は闇」っていうのはこんな感じなんだろうなと思いました。掴めそうなわらはiphoneしかなかったです。最初はiphoneを使って道を照らしていましたが、すぐ電池が切れそうになり、もしもの時を考えてポケットにしまいました。
道は何となく覚えているが真っ暗なのでどうにもなりません。滑りやすいところも結構ありますので「石橋を叩いて渡る」くらいの神経で一歩ずつ降りていました。
たまに、登ってくる登山客のライトの光で道が確認できますが、一瞬です。すれ違いに必ず顔を見てくるので、頭に付けているライトの光は顔に当たる、まぶしくて、クラクラして、イライラします。
もう「帰りに傘を拾う」なんて考えられません。頭は無、心はさびしい、一人で歩いても歩いても道は無限に続きました。これが10分、30分、1時間、、と続くと絶望感が襲ってきます。しかし、歩き続けるしかないんです。
体力はすでに限界を越えていました。足が折れるような痛みに襲われ、高くあげることも曲げることも思うようにできなくなりました。ロボットはたぶんこんな感覚で動いているだろうなと思いました。
景色は暗くなってからほとんど変わりませんでした。夜景としてはきれいだったかもしれませんが、それを楽しむ余裕はこれぼっちもありませんでした。むしろ、そのキラビヤカさとのギャップで心細さが増します。
山小屋を通りかかるときはもっと辛いです。すべての小屋にはご来光を拝む団体の人たちでにぎわっていました。ちょっとはホットしますが、それも束の間、また「闇」に向かって進まないといけないのでした。
正直最後どうやって戻ったがはあまり覚えていません。五合目の広場に戻ったとき、待ってくれていた友達が転倒しないように僕の両腕を持って付き添ってくれました。「あー、俺ふらふらしてるんだ」「まるで遭難者じゃないか」と思いました。
この時は確か夜の9時半前後だと思います。友達に聞いたので覚えています。
その後、食堂でカレーを食べて、2、30分みんなで喋ったり、写真を見せたりして、バスで車に戻りました。「ちょっと寝たほうがいいよ」と言われ、車で20分くらい仮眠をとりました。そして、無事に家まで辿り着きました。
今回の富士登山は決していい思い出ではありませんが、経験としてはちょっと自慢できるかもしれません。