動画サイトのコメント欄、ニュースサイトのコメント欄、SNS、ネット掲示板など今や誰でもが自分の意見を発表することができる時代となりました。今回はこのネット掲示板についていろいろ書きます。
現代社会は、経済的に豊かになり、科学技術も高度に発達し、より便利で快適な生活が実現しています。その一方でますます激しくなる競争の中で、人間関係の不和、疲労、不安、格差、など現代人は多くのストレスを抱え、体調不良、集中力が途切れ、不眠症、自律神経失調症、引きこもり、燃えつき症候群、無気力症など大きな社会問題をも引き起こしています。
こんなストレス社会を生き抜くためには、休暇を取り、趣味、スポーツ、散歩、ショッピングなどで日々の実生活から離れて気分を転換する選択肢がたくさん用意されています。
それでも人生というものは自分の思い通りにならないため、恨み、嫉み、憎悪、自棄、破壊衝動、不平不満、怒りなどが日々蓄積されています。これら行き場がない負の感情は、忍耐で押し殺すか飲み屋で一杯やりながら愚痴を言って忘れるかしかありません。
インターネットの普及に伴い、全世界を巻き込んだ情報の共有や発信が便利且つ快適に行える情報社会が急速に進んできました。瞬時に多くの人と交流したり、大量のデーターや情報を検索できるようになった一方、不特定多数、匿名、非対面故の無責任による虚偽や偏見も多く混在し、利用相手の気持ちやダメージを感じず、良心の呵責や倫理観を軽視する問題も生じています。
こうして必然的にストレス社会から生まれた負の感情の受け皿となったのがインターネットでした。
その中でも代表的なものがネット掲示板で、特徴はなんと言っても匿名であることです。匿名が故に自由に書き込め、社会的立場に関係なく平等な発言の機会を得たネットユーザーは、さらに先入観に囚われず、純粋に発信内容を評価され、立場に関係なく議論を行う事ができ、一般市民の社会参加が促進されました。
しかし、現実は理想な形とはかけ離れた結果となりました。まともに書き込む方ももちろんいますが、それを遥かに超えて無責任な発言、心がない書き込み、誹謗中傷、殺人予告やデマの方が目立って社会問題となっています。
匿名性は個人の人権を守る目的であったが、しかしそれは善人にも悪人にも平等に働きます。平等を理想としたネットが差別を生んでいることは紛れもない事実である。完全なる平等は現実社会でもネット上でもどこにも存在しないものであり、今までもこれからもです。
「匿名性はインターネットに必要なのでしょうか?」という質問はもうもはや時代遅れで、そういう議論をする段階ではないのです。というのは今更ネット掲示板の匿名性をなくす、あるいはネット掲示板そのものをなくすことは現実的ではありません。ネット掲示板ありきで話をすすめることが前提です。
「書き込む方が悪いのか?相手にする方が悪いのか?」という話をしましょう。書き込んだ人が悪い、もちろんです。しかし、法律で何とかしようとか、悪い人がいなければいいとか、他人に問題解決を任せるのではなく、自分がどのように向き合うべきかに重心を持ちましょう。
「七つの習慣」という本を読んだ頂きたいですが、自分の力で変えられるものは変える努力をする、自分の力変えられないものは自分の考え方を変えるとありました。
社会は当然ですが、人間が集合体ですから、人が生活をしていればうんこが出るのと同じく、社会も動いていれば「排泄物」は出るのです。生理現象ですから、仕方がありません。ですので、トイレが必要なのです。そのトイレ役がネットであって、ネット掲示板であります。
さて、トイレとどう向き合うべきか?排水溝を掘って「くさい!」と言う人がいないと同じように、はっぱりくさいものには蓋をしましょう。精神的な便器を作りましょう。
見ないのが一番ですが、見るとしても「トイレ」という認識をしっかりした上で!書き込む人も書かれた人もまともに向き合う必要がありません。
なぜなら、ネット掲示板は国民のトイレであり、社会のトイレである。